2012年1月20日

映画「六ヶ所村ラプソディ」を見て

前から見たかった映画「六ヶ所村ラプソディ」を見た。
最寄りのツタヤには無かったので期待はしてなかったのだけどなんと意外や意外,市内の図書館にあったのだ。

原発事故後に東京や千葉県でも何度か上映会も行われていたけど2歳児が居る身なので参加出来なかった。(どうしてもこの映画や「ミツバチの羽音と地球の回転」を見たかった奧さんは上映会を考えたこともあったほど。問いあわせると1日10万円と言われて断念)


六ヶ所村ラプソディのDVD

まぁそんなわけでやっと見ることが出来たので,今回はその感想を残しておきたい。

正直に書かかせてもらうと…見ている間,利権に負けた青森県民達の情けなさを目の当たりにして気分が滅入った。私の故郷新潟県にも世界最大級の原発があるのだけど間違い無く同じような道をたどって行って牙を抜かれたのだと確信して,またつらくなった。日本人とはなんと操作,洗脳,教育しやすい生き物なのだろうか。

ドキュメンタリー映画なので,原発推進派達が圧倒的なお金と時間を使って確実に反対派の芽を潰していった様子が淡々と描かれており,原発が必要だろうという人もモザイク無しで登場する。よく取材を受けたなぁと感心してしまう。私がもしその立場なら取材拒否かモザイクは必須だけどな。

個人的に六ヶ所村のクリーニング屋や政治家や漁師を辞めて原発施設で働いている人のゆがんだ表情と笑顔が強く印象に残った。お金は人をここまで変えてしまうのか。笑っても怒ってもその表情がうす汚く見えるのは原発は危ないと知っていながら利権に負けた後ろめたさが自身にあるからだろう。監督の質問によく目が泳いでた。

「お金を稼ぐために仕方のないことだ」という人も居た。だけどそれだけでは同情できない。少なくても私なら地元でお金を稼げないのであれば,子連れだろうが引っ越して別の場所で仕事を見つける道を選ぶからだ。ご先祖様が繋げてくれたこの命の繋がりを守り,生き物として生きぬくためだ。唯一の原子爆弾の被爆国としてそれだけはというプライドもある。

逆に昔から無農薬でお米を作り,再処理場の存在をは自らお客さんに本当のことを伝え収入が減ったと笑いながら話すおばちゃんのすがすがしい笑顔はキラキラしてた。無農薬で手作業でどこよりも美味しいお米が,全く関係ない放射線汚染のせいで汚れてしまうのだ。少しでも心中を察しようとすれば胸が苦しくなる。何よりもこういう人をイチバンに応援したいのにお米を買って応援が出来ないのが悔しい。

私自身も数ヶ月前に作付けを断念し,畑の作物を全部廃棄した。あのときの悔しさなんてもう忘れたいのに,ふとした瞬間に思い出してしまう。無農薬でもない野菜を遠くから取り寄せて買ったとき。野菜を切るとき。野菜をもらったとき。野菜クズを堆肥にせずにゴミ箱に捨てるとき。

青森県民の中にも身を削っても正しい方向へ向かおうという人は居た。でも圧倒的多数の無関心と何もしない人間のために沈んでいったのだ。その風潮は原発推進派が再選する選挙結果を見る限り,2011年3月11日のあの大事故以後も変わらなかった。これで変われなかったということは希望の一筋の光すら青森にはもう無い。

「六ヶ所村ラプソディ」。日本人なら見て欲しい。
青森がどんな県なのか。その切なさを。

●分かったことメモ
・青森県民の中にも少ないながら戦ってる人がいる。
・イギリスの再処理場は放射能漏れ事故を起こして2005年に閉鎖した。
・六ヶ所村の野菜を六ヶ所村野菜と表示せずに販売していること
・「中立」や「心の中では反対してる」は推進してるのと同じことということ。