2014年4月11日

狩猟で生きる人の覚悟に触れました


移住組,あべっちです。

先日,狩猟免許を持つ奥さんが猟友会の方と友達になりまして,鹿の解体の現場に同行させていただく機会に恵まれました。サラリーマン時代(契約社員でしたが)には想像もしてなかった場所に今,居ます。

私も解体の全く経験が無いわけではありません。でも私のはすでに命を落とした山羊や,弱って食欲もなく今にも死にそうな鳥をそのまま捨てるのが逆に可哀想でもったいなくて,それでさばいて食べたというだけのものでした。この行動,もしかすれば理解して貰えない人も居るでしょうね。

そらいろ農園 20140407_132016s.jpg (JPEG 画像, 480x360 px) そらいろ農園 20140407_130724s.jpg (JPEG 画像, 480x360 px)
猟師さんは手慣れた手つきで,でも緊張をゆるめることなく,作業をしてました。血抜きのために首にナイフを当てると綺麗な血が流れ出ました。その色の鮮やかさはもう死んでいた山羊の血と比べると全然ちがうことに驚きます。

そして良く切れるナイフだからなのか,私達がしたような切り損じはありません。あと,覚悟が違うように思えました。迷いがあればそれだけさらに痛みを与えてしまいますものね。

捕まえて,さばいて,肉を頂く。その姿はまさしく猟師でした。シンプルです。
スーパーに売られてるお肉を値段や産地だけで選ぶ事になれてしまった私達。殺すことは可哀想,だけど肉や魚や野菜を食べなくては生きていけない私達。そんな罪深い人間達が知っておくべき命の現場でした。少なくても肉を食べる人は知っておきましょう。そしたら食べ物を残さなくなるでしょう。料理をもっとおいしく作って楽しもうと思うでしょう。

命の現場と言ってもベルトコンベアに乗せられて工業製品のように機械で殺されて流れ作業で肉になっていく加工場はちょっと私も見る気が起きません。あれを見たら悪い意味ではなく,汚いという意味でもなく,おそらく弱い私は吐き気がしてしまうでしょう。いや本当に。

でもこうやって猟師の手で目の前でさばかれてる命を見て感じるのは,なんて表現したらいいだろう。感謝,ありがとう,おいしそう,そんな前向きな気持ちしか出てこないんです。

 そらいろ農園 20140409_192756s.jpg (JPEG 画像, 480x360 px)
1番おいしいとされる背ロースの部分は冷凍して刺身にして食べました。私が食べるような庶民的な中トロよりもずっとずっとおいしかったです。命に,感謝です。そしてリスクに対する規制でこんなのが食べられなくなってることが切ないです。私は食べますよ。

ちなみに,鹿の毛は指でひっぱっただけで抜けてしまいました。全部夏毛に生え替わるまでは使い物にはならないそうです。勉強になりますなぁ。

罠を手に入れたら奥さんと知恵を出し合いながら仕掛けてみたいと思います。

4 件のコメント:

  1. ”覚悟”。

    忘れて生きていましたが、必ず、そして前触れなしに、決めなければならない。

    静的ですが、すごく厳しい。
    それを想い起させてもらった日記でした。

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  2. すでに命を落とした犬がいたら、やっぱりもったいなくて食べるんですか?
    犬肉、美味しいらしいですね!

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  3. ふらっと寄った田舎者です
    上記の匿名さんの皮肉を見て我慢できず投稿させていただきました

    日本にはすでに犬食文化は存在しませんし
    救われることのなかった命を弔う方法は様々です
    狩猟や解体などごく一般の人々には理解できないでしょう

    鳥の死骸が横たわっていたら普通の人はどんな行動をとりますかね
    気持ち悪い、可哀想と思い見て見ぬふり、これが普通の行動でしょう
    「食べる」これは生き物に対する最大限の弔いであると思います

    所詮、人間の勝手な価値観でしかないのかもしれませんが
    亡くなった鳥が己の血肉となることに大きな意義があるのかもしれません
    上辺だけで人を非難するなど愚劣の極みです。

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  4. ジャンさん

    書き込みをありがとうございます。
    インターネットがはびこったことで今は手間も時間も数十円の電話代すらもかけることなく、匿名で人や団体を誹謗中傷出来てしまう時代になりました。それに便乗して匿名で差別に満ちた書き込みをする人間がとてもかっこ悪く情けないことです。匿名というだけでまともに相手をする気もなくなります。

    私も食べることが最大限の弔いだと考えてます。だって野生に住んで生きるために獲物を捕らえているむ生き物たちの誰が「可哀相なことをした」なんて考えてますでしょうか。誰もそんなことは考えてないんです。だって生きるためですから。日々生きる分を食らうには誰も責められないんです。

    でも人間は明日食べる分までを貯めだした。家畜を飼い始めた。冷蔵庫で貯めだした。お金に変えて貯めだした。お金の力で自分の手を汚さず誰かにやらせるようになった。グルメ批評をし始めた。ここまで来ると悩みも膨れ上がってしまうと思います。

    悩み過ぎても救いはないのですが、犠牲の上で生きられてることだけは忘れないで食事をしていきたいと思います。

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