2014年3月13日

私達とお肉の付き合い方


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以前から考えてきたことですが,写真右の山羊のシロを食べることにしました。
本当にいろんなことを考えて迷って模索して…。

シロとは10ヶ月の付き合いです。長いような短いような。食べると決めてからも生かしてあげたいとまだ迷うこともあります。顔が可愛いんですもの。本当の本当はどうしたいのか,私の頭の中の整理をしなくてはいけません。

■山羊を飼い始めた理由はミルクと堆肥
そもそもどうして山羊を飼い始めたのだろうと目を細めて思い返してみますと,まずはミルクの自給のためでした。今の牛乳に入ってるいろんな不自然なもの,例えば女性ホルモンや抗生物質などを避けるためです。

また,家から出る生ゴミ処理にも一役買ってくれます。鶏が食べられないような木や稲わらだって山羊の強い歯なら食べることができます。そして体の中で発酵,消化して良質なフンをしてくれます。そんなまじりっけのない良質なフンから作る良質な堆肥の価値は計り知れません。


■手放すことは最初から決めていたこと?
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去年の2013年5月,そらが2頭のオスを産んでくれました。名前をアカとシロにしました。メスなら家族に加えていく予定でしたが残念ながら2頭ともオス。うちの敷地内で飼うには限界があり,誰かにあげるか,販売するか,もしくは食べるかして手放そうと私の中で決めてました。


■アカが死んだので食べました
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そんな中,生後2ヶ月目でアカの首にロープが絡みついてしまい,死んでしまいました。可哀想なことをしてしまったわけですが,見つけたときに私はすぐに「食べてやろう」「食べるしかない」と思いました。だって土に埋めるのは簡単だけどそれは実は「捨てることと同じ」じゃないですか。

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初めての解体作業は体が震えるほど怖くて,言うなれば残酷で疲れるものでしたが,肉を食べる人間としていつかやらなくてはいけないと思っていたので。。やりました。

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犠牲になったアカの顔を思い浮かべながら食べたのは新鮮で不思議な感覚でした。肉を見る度に,箸でつかむ度に,飲み込む度に,ごめんねとありがとうの連続なんです。今まで私は35年間,どこで生まれたのか,どんな風に育てられて,どこで殺されたのかも分からないような動物の肉を食べていたんだなぁと。

■いろんなことを考えた結果…
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残ったシロはすくすく大きくなりました。3ヶ月,4ヶ月,5ヶ月が経ち,体は母親くらいになりました。可哀想だからと去勢も除角も出来なかったこともあり,次第に手に余るようになりました。

私は奥さんに何度となく「…そろそろ食べようか」と切り出しましたが奥さんは可哀想だから生きる道を探そうという考えでした。私ももし大事にしてくれる方が居るならとネット掲示板でもらい手を探したりもしましたが見つかりませんでした。やはりオスで無去勢,角ありは人気が無いんです。これが自然な形なんですけどね。。

そのまま8ヶ月が経ち,最後の手段は山羊の業者に引き取ってもらうことでした。奥さんが 問い合わせるとタダでもっていくのでそのときには連絡くださいとのことでした。

でも私は疑問を持ちました。。業者に持ってってもらって,この子が居なくなれば確かに楽にはなるでしょう。でもどうして最期までお肉にされないと,寿命までしあわせに飼ってくれると言い切れるのでしょう。それにもしこの子を食べないとしたら,奥さんはスーパーでその分の肉を買って食卓に出すことでしょう。

ならば。それならば。私達がこの子を食べたいと思いました。野菜クズやおからや青草をたくさん食べて育った自慢の子です。抗生物質も配合飼料も与えてない、最高のお肉になることでしょう。 きっとおいしいに違いありません。そんなこんなで飼ってた山羊を食べることに決めました。いや,最初から決まってたことなんです。可愛くて迷っただけなんです。


■「食べても良い命」と「食べたら可哀想な命」のラインって?


ツイッターで殺さないでペットとして飼ってあげて!という声も頂きました。殺さないでというお気持ち,よく分かります。最期まで責任をもって飼えと。でも私達は飼うんじゃなくて責任を持って食べるわけです。生きるために食べるんです。

こういう話をすると何も動物を殺してその肉を食べなくてもええじゃないかということを言われます。でももし私達が動物や卵や牛乳を食べないとしたら,飢えるという選択肢を選ばないのであれば,それを補うために他の何かをたべなくてはいけませんよね。

それは例えば野菜や果物や豆乳(大豆)になるのでしょうか。
と,ここで私は純粋で素朴な疑問が生まれるわけです。あれれ,植物だって生き物だぞと。


どうして動物だと可哀想で果物や野菜や大豆は殺しても可哀想じゃないんでしょうか。どうして彼らには痛みが無い,殺しても大丈夫と言い切れるのでしょうか。私には,毎日成長する植物も,プランクトンで光合成するアオミドロでも,空気中のウイルスだって受精しようと動き回る精子だって「生きてる」としか思えないんです。

呼吸をした際にウイルスや病原菌を吸い込みますが,そいつらを私達の免疫細胞が撃退したら,それらを殺してるわけです。動物でも人間でも植物だって,生きる上で競争や殺生は避けては通れないんです。

次に考えるのは命の大小です。命に大小があると思いますか?
魚と山羊のどちらかを食べるのなら,山羊のほうが可哀想でしょうか?
小さな魚と大きな魚のどちらかを食べるのなら,小さな魚の方が心が痛まないでしょうか?
林檎を食べるとき,もいじゃって(殺しちゃって)悪いなぁとは思いませんか?

ほ乳類は特別でしょうか?鯨を食べる日本人やイヌイットは野蛮でしょうか?
犬を食べる韓国人は野蛮でしょうか?そこが捕鯨問題などに繋がってくるわけですね。


私は我が子などの関係あるものを除けば,命に大小はないと思います。少なくても生きるために命を殺めて食べる時に命の大小はありません。つまり食べても大丈夫な命なんて存在しないんです動物だって植物だって大切な命の犠牲なんです。



■結局,お肉とどうやって付き合っていくのか?

私はお肉をたまに食べたいと思ってます。その「たまに」が3日に1度なのか週に1度なのか月に1度なのか,それでは多いのか少ないのか,きっちり決めるのは難しいと思います。そもそもうちでいうと奥さんがスーパーで買ってくるかどうか,でしたし。

私が理想だと思ってるお肉との付き合い方は
お肉はごちそう。たまに手に入ったらおいしく頂く,です。

食べたいから探して狩る。いつ狩れるか分からないけどがんばる。
まさに狩猟の時代や江戸時代までのスタイルでしょうか。

このスタイルなら,とりすぎて絶滅危惧種になる,なんてことも減るでしょう。
毒物で殺したり,お金ほしさに乱獲するからいけないんですね。

これがお金で,しかもどこでも安く買えるようになったからおかしくなったと思ってます。
これじゃありがたみもなにもありませんもん。

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今後は奥さんが狩猟免許をとったことで,たまに捕まえられたときに食べるようなスタンスになっていくでしょう。それでなくてもうちには鳥もいますしね。さばいて肉にするのは骨が折れますが,その分感謝も深まるでしょう。それがこれからのうちのお肉との付き合い方です。

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