2011年9月3日

だから両親様,どうか心配しないで。

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(窓際に竹竿をかけてものほしスペースを作る私(8月23日撮影))

「来年から脱サラして田舎暮らしして農業で食っていく」。

そう友達に話せば「面白そうじゃん,今度遊びに行くよ」と気楽に言ってくれるのだが,
親としては心配するのは当然だと思う。それが借金して買った古民家が実は屋根も床も
腐っててボロボロだったと聞けば尚更心配してしまうだろう。

苦労は出来るだけして欲しく無い,苦労のない人生を歩いて欲しい。
それが親世代が考える幸せのカタチなのだと思う。

お金はあればあるほど幸せで,貧乏だと不幸せだ。
お買い物とたまの外食が楽しみだけど,将来の夢は新築のマイホームだから
100円均一に囲まれた生活をしながら,毎日の食事もおろそかに節約生活をしてる。
定年したら思いっきり遊ぼうと心に決めて,人生の半分以上を会社の中で過ごしている。

私自身も5年くらい前までは正にこの状態だった。
お金が無い貧乏生活を工夫して楽しもうとはしていたものの,結婚資金にマイホームの頭金,
子供を大学まで進学させるお金など,ゴールの見えないお金稼ぎの生活に疲れ始めていた。
でも止まることは出来なかった。止まることは現代社会では許されないからだ。

だけど私の価値観が一転する事件が起きた。
数年前,新宿の小さなプログラミングの会社で働いていたときの話だ。

当時,私は千葉県市川市のマンションで1人暮らしをしていた。
プログラムの仕事は楽しかったのだけどバグでも出ようものなら,土日返上の残業は当たり前。
カプセルホテルに寝泊まりする日々も多く,52時間連続勤務という自己ベスト記録も作った。
あるときは残業時間が300時間を超えた壮絶な月が半年間続いた。

ストレスで眠れなくなったときは友人から睡眠薬を貰ったりして難をしのいだ。
夜,寝ているときに突然,歯を食いしばった状態でアゴが金縛りになり,
歯が折れそうになったことが何回もあった。この状態になると両手を歯の間からねじ込んで,
噛ませて歯が折れるのを回避した。これ,信じられないだろうが本当に本当の話だ。

そんな日が続いて血尿も出だしたある日,私は信じられないような行動に出ていた。

朝,いつも通りスーツに着替えて玄関を出たものの,足が最寄りの駅には向かわなかった。
町を一周して家に戻った私は電気もつけずにうす暗い部屋でボーっとしていた。
会社に休みの連絡もしない。携帯電話の電源も切った。

午後になってからだったか,玄関のピンポンが鳴った。
のぞき穴から見てみると母と姉,そして会社の社長と副社長の姿があった。

この間,阿部と連絡がつかないと会社では騒いでいたらしい。
どうして母と姉を呼んだかは意味不明だったのだけど,母は泣いており,心配をかけたと
心の底から反省した。

あとで思うと間違い無く私はノイローゼでありうつ状態だったのだと思う。
「男はお金を稼げ,不景気だから辞めれば雇って貰えない」などの教育を受けていた私は,
我慢して出社してストレスを受け続けていたのだけど,そんなのは私の勝手だ。

可哀相なのは付き合わされる体の方だった。血尿まで出して教えてくれていたのに。
あの日私の体は人間らしく生きるために心に呼びかけ,会社に行くことを辞めさせたのだ。

その会社はそれから半年くらい無難に勤め上げたあと,辞めさせてもらった。
幸運にもその後はすばらしい会社に恵まれて,給料もアップし,順風満帆な感じだった。
だけどずっと胸の中で「本当は何がしたいのだろう」という思いは消えなかった。

あの頃に比べると私は身も心も健康的になった。
まず1番に自分の体の声を聞くようになった。そのおかげで風邪を引きそうなときは事前に
対処できるようになったし,夜はぐっすり眠れるようにもなった。
そして今,私は無農薬の野菜を作って生きることを決断し,夢に向かって走っている。

ほら,そう考えると,どっちの道を進んだ方が心配だっただろう。
駄目な平凡サラリーマンとして貯まらないお金を追い続けてストレスで体を痛める生活と,
収入は低くて苦難が多くても,毎日体をいっぱい動かしてぐっすり眠れる生活は。

だから両親様,どうか心配しないで。
私達は生まれてきたことに感謝してしっかりと毎日を生きるから。
例えお金がなくても苦労ばかりでも,毎日の食事に感謝して生きるから。



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(奥さんが作ってくれた昨日の(9月2日(金))のお弁当)

4 件のコメント:

  1. いままでの経験があったから、つぎへの舵が切れるのかもしれませんよね。

    自分は、妻の寝顔見るときにふと、”フツーに生きて来ればよかったかな・・・?”   なんて最近思うときもあるんです。航海には後悔がついてくるのかな・・・?

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  2. コメントありがとうございます。
    後悔には後悔。渡米したAkiさんだけに上手いわ~。

    変わった道を選ばずに普通に生きる道を選択したらしたらできっと幸せに頑張ってるのだと思います。またいつか生まれ変われたときにやってみましょうよ。…ってまたそのときも同じ道を選んじゃいそうですよね(笑)。

    人生がどんな結末になるかは全く分かりませんが,どれだけ地獄になっても,夫婦がずっと仲良しなら乗り越えられると自分は思ってます。逆にそこが駄目だと何をやっても駄目だろうと。だから奥さんへのサービスは忘れません(笑)。

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  3.  親類からお餞別をいっぱいいっぱ頂いて希望にもえて定年までがんばる覚悟で3人の小学生の子と千葉へ。10年目 母子家庭に。今思えば私は苦労した、、とは思わない。お金が無い分、子供に苦労させたかなとは思うけど。でも 3人ともやさしい子に育ってくれた。3つの個性を楽しんでるかな。この事はしあわせ。
     行きたい学校を卒業し、運転免許取得する、最低ここまで親の仕事 と天国の主人と約束して働いてきた。
    今 思う、もう心配するのやめるね。これから先の人生を共に歩く大事なパートナーと子供が居るんだもん。親の手から離れたんだ。
    でも亡くなった母を思うと80歳を超えても50過ぎの息子や娘をあれこれ心配してたよ。私も心配性なのかも。似た?
     希望にもえて頑張っている夫婦の心のお荷物にならないよういらぬ心配しないでいます。(安定した生活を捨て、知り合いのいない長野で、やったことのない農業をする、お風呂も使えない古屋で2歳の子供もいる、、この状況で先を心配しない親 いるか?チョットは心配させろ!)
    私自身が今まで 周りの人に助けてもらって生きてきた。良い人に恵まれた。長野で3人が、手助けや知恵を借りて先の生活ができますように祈ります。慣れないパソコン 2時間かかった。ばーちゃん頑張った!    
       kazukopapamama 2011 9 5 

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  4. 書き込みありがとう。パソコンで打つの大変だったでしょ。
    いつもあなたはサプライズなことをしてくれる。
    見たのが仕事の休憩中だったので涙が出そうで恥ずかしかった。

    お金の話。
    育ててもらってる間で、一度だってお金が無いと思ったことはないよ。
    うそ発見器にかけてもらってもかまわない。本当にない。

    子どものころ(といっても18歳くらいまでの長い期間)にテーブルの上の
    果物入れに旬のりんごやいよかんや梨がいつでも山積みになってたから
    1日に林檎1つに梨2つにいよかん4つとか,毎日アホみたいにたくさん食べてて。
    それでも次の日には山積みになってたから果物は安いものだと勘違いしてた。

    お菓子より果物のほうが高いと知ったのは一人暮らしをしてからだったのだけど,
    そのときに「もしかしてうちって裕福だったのか」と思ったくらいだもの。

    女手ひとつで兄弟3人を進学させながらも、お弁当や手料理もちゃんと作ってくれた。
    家族仲良しで本当に楽しかった。私達兄弟がその姿から学んだことは多かった。

    面白くて行動的で頑張りやで人気者で、何でも話せる貴女をいつも誇りに思ってる。
    ただ少し頑張りすぎだと思うこともあるから休みながらね。

    もし上手に作れたら来年から私が作った無農薬野菜や新鮮卵を送るからね。
    意地っ張りの息子が作った、自慢じゃないが悪いものを一切使わない安心安全の超一級品よ。
    北海道の兄貴にも望むなら送りたいね。北海道野菜のほうが美味いと言いそうだけど(笑)。

    例え私達夫婦のどちらかが病気で倒れたりしても、例え商売がずっと軌道に乗らなくても、
    今度は新潟の世界最大の原発が爆発して長野の畑が汚されるようなことがあっても。
    何があっても私達は後悔の無い生き方を選んだことで満足してるよ。

    家が直ってきたらこっちで一緒に住もう。
    夏は涼しいし空気も美味い,冬も薪ストーブでぽかぽかだよ。
    千葉や新潟のように友達はいっぱい居ないけどね(笑)。ではまた。

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