2011年12月17日

国がダメでも国民は誇り高く生きよう!1211脱原発デモ参加

こないだの日曜日の12月11日。友人から誘われた船橋での脱原発デモに出かけてきたのでそのときの話をしようと思う。農園ブログに関係ないって?いやいやいやいや,関係大ありなんですわ。代々,土作りをし,大地を育て守ってきた農家こそ原発事故で土が汚染されたことを怒るべきだし,今後の脱原発も叫んでいくべきなんだ。

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6月のデモに参加したときの経験からデモは注目を浴びないと意味がないと分かっていたので音の鳴る小道具も作っていった。お膝元ということでお菓子の缶の蓋に野田総理の写真を貼り付けてそれをガンガンぶったたくというものにした。(TPP協定の強制参加の件でも私はこやつが大嫌いなのです)

この日は1人で行こうと思っていたけど息子の風邪もある程度回復したし(咳は止まらないけど),閉じこもってばかりじゃ健康にも悪かろうと嫁さんと息子も一緒にデモに参加することにした。病み上がりで可哀相だけど一緒なら署名も3人分書けるし,息子も成長したときにデモ参加の意義を話せば分かってくれるはずだ。

私たちのデモへの参加は611以降。あのときは予想はしてたけど息子が暴れて大変だった。当時で17kg越えのこの子を30分間以上だっこして(だっこすれば下ろしてと言う)叫んで歩くのは苦行だったし,それ以前に集合場所までの歩いて30分もキツかった。夫婦で腕の筋を痛めたものな,あのとき。

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(611デモのときの写真。肩車してるのは息子)
2011年06月11日の日記はこちら
http://ta.yukiboulife.com/nikki/2011/201106.html#2011.06.11

実行委員会のメンバーである友人からデモ前の集合場所で3分間程度,スピーチしてみないかと言われた。人前で話すのは苦手で脇汗をかくので嫌なのだけど,逆に,「こんな脱原発デモ行進の集会ですら語りたい人間(語れる人間)が居ない」ということが私には大問題に思えた。

人に文句を言ってはいけない,デモをするような人間は奇抜,何もしないことがカッコイイというプロガバンダ(洗脳)を戦後,日本人は受け続けた。これにより「空気読めない」のような愚語が流行語になるほど日本人は足並み揃えて右へ習えの人種になってしまったのだ。

現地に到着してからもし,私の他に熱く語りたいという方がいたらお譲りしようと決めて,スピーチをやってみることにした。ゆき坊さんも話すと決まった。私と違って彼女はキモが座っているので堂々としたものだ。

そんなこんなでスピーチが始まった。

611に埼玉で参加した脱原発デモで私が思ったのは参加者に情熱,勢い,怒りが足りないことだった。いや,足りないんじゃないのだ,長らく受けてきたプロガバンダで怒りを表に出すことが出来なくなっているのだ。誰よりもそのときの私自身がそうで,飼われた犬のように声が出ず自分自身を反省した。これはデモなんだ。しかも賃金上げろ云々の話じゃなく,命に関わる問題。お遊戯会じゃない。必死にやらないほうが恥ずかしいんだ。

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(一生懸命に怒りをぶつける私)
私の番になり皆の前に立つと予想通り頭がまっ白けになったのだけど,そんなことすらどうでも良かった。良いことを言おうと思うな。等身大の思いの丈をぶつければいい。311以降私たちに起きた出来事を思いつくままに怒りを込めて熱くしゃべればいい。食べ物のこと,水のこと,野菜のこと,農家の苦しみのこと,政府や,東京電力への怒り…。

息子や愛犬を散歩させることも出来ない。放射線の価値観の違いで母親とケンカしたこともあった。嘘の報道や本当の200ベクレル越え(栗山浄水場)で水道水も怖くなった。息子が心配で預けてる保育園に抗議しにいったこともあった。地産地消の生活だったのにそれが逆転,海外産に北海道産と遠ければ遠いほど安心になった。顔なじみになっててた八百屋さんやお肉屋さん(去年までの日記によく登場)にも一度も行けてない。葛藤して苦悩して自分で作った野菜だって捨てたんだ。などなど。

怒りでどこまで話せたかは覚えてないけど熱意は伝わったと思う。早口だし噛むわで聞きづらかったとも思う。だけど熱意だけは伝わったらしく最後には拍手を頂いた。あぁ,これでいいんだと思った。1つ自分の殻(プロガバンダ)を破けた気がする。

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(主婦,そして母親の目線から語りかけるゆき坊さん)
私と比べると日頃から30人~40人の手作り教室で人前で話すことに慣れてるゆき坊さんはしっかりと話せていた。料理を担当してくれてるゆき坊さんは買い物の度に私以上に葛藤して辛い思いをしてるはず。子育てをする奥さん達にはしっかりと伝わったと思う。

そんなこんなでデモが始まった。
611のデモのときに比べると皆さんもデモ慣れしてきたのか声も出て来たし音の鳴る小道具持参の方が多くて盛り上がっていたと思う。様子は下に動画でアップされているのでそれを見ていただけたらと思う。(お恥ずかしながらかなり前で行進した私達夫婦も結構写っております。)

もう喉が枯れるまで叫んでやった。心配だった息子はゆき坊さんの腕の中で眠ってくれた。

デモ終了後。デモ後も少しでも船橋市民に訴えてやろうと手書きの看板を首からぶら下げたまま歩いていた私にデモを見た70歳くらいの品の良さそうなご婦人が声をかけてきた。「こうやって頑張って行動したと言うことは後々に良い思い出になると思います」と。関心を持って声をかけてきてくれたことが嬉しかったのだけど私はあえて「第5福竜丸のときは主婦の方々が3000万人の署名を集めても変われなかったんですよね。あのときの方々のためにも今回こそは思い出で終わらせたくはないです。」と前向きに答えた。

そのご婦人は帰るときに脱原発の1000万人署名もしていってくれた。署名というもの自体に抵抗があるとおっしゃっていたけど書いてくれた。脱原発に向けてこれだって小さいけど大きな1歩になるだろう。

その後の実行委員会の反省会にも参加させて頂き,私の極論的だけどそれが正しい意見も言わせて頂いた。私の意見はただ1つ。それは権力を持った上の人間達に「ゴールを設定してもらう」ことだ。

どのくらい署名を集めたら,デモでどのくらいの人数が集まれば,市長や知事が動いてくれるのかを期限付で公開質問して問いただすこと。例えば森田知事が解答をしないで無視するようならその様子もしっかりと掲載して県民に伝えること。例えばこの議員は,この市長は現在,15000人の署名を無視してますと伝えること。これでも彼らが動かないようなら次回の選挙で民意に問おうじゃないかとそういうことだ。

日本のレベル7,チェルノブイリを越える最大級の原発事故を受けて世界の国々も相次いで脱原発を掲げるようになった中でも張本人の日本だけが原発推進の道を突っ走っている。そこを外国人の方に指摘されるたびに日本人であることを恥ずかしく思ってしまう。

国や政治家や大企業(通販生活,城南信用金庫のような正しいことを貫く会社もある)はダメでも,私達国民は誇り高く生きようじゃないかと思う今日この頃なのであった。

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農家の友人のまだ小さな子ども達が書いてきた手書きの抗議イラスト。
放射線は体の小さい子ども達こそ影響が大きい。 もっと小さい魚や鳥や昆虫なら尚更だ。
そしてそれを食物連鎖の頂点に立つ人間が食べる。どうなるか想像してみてほしい。


▼当日のデモの様子が動画でアップされてました。(私達夫婦も結構写ってます)

12・11野田首相の地元船橋で反原発デモ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DCAbNK1mJYU&feature=related


12.11野田首相の地元・船橋で原発なくせデモ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=yovtU7fRNhI&feature=youtu.be


船橋 脱原発デモの様子
 http://www.youtube.com/watch?v=_UFPI1IvQ5I&feature=endscreen&NR=1

2 件のコメント:

  1. 日本に戻ってもう2年、たった7年/52年間しか離れていなかった国ではありますが、とても多くの憤りを感じている毎日です。

    国という概念は何度も自信に自問自答してきましたが、以前に比べても”軽い”ものになってきました。
    それは、たとえば”核”というものに対峙するときの距離感や重み・感情などの「質的違い」が、国や国民(市民という単語を使う所もありますよね)によって異なる現実を見てしまったからだと思います。

    自分はこの「事故」よりも「事故後の対応」への質的な違いを見聞きし、「国民」であり続けることを辞める決意が固まりつつあります。

    もちろん家族から社会まで、狭から広に至るまで、己としての責任は微力ながら全うするつもりですが、その後も、タコどものために少ない収入の一部を納税する気持ちにはもうなれません。”怒り”ではなく”あほクサ”という軽い感情です。だってダサイんだもん、やってるコト。

    家族や友人への恩、己の責任を全うしたら後、納税先や社会貢献先の選択の”自由”を勝ち取ろうと思うんです。

    祖国やコミュニティーへの不満ではけっしてありません。けれど、バス停の人たちから国の組織に至るまで、みんな病んでいることに気づいていないのではありませんか?

    コレは自分にとって原子力より怖いからなんです。

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  2. 深いコメントをいただいていたのですね,全然気が付かなかった…。
    Akiさんの決意は正義の面からも私から見ても正しくかっこよく思います。私を含め,数多くの方が今回の「事故後の対応」で日本に失望してしまいました。

    私はあと66日で夢の長野移住をし古民家での百姓生活が始まるわけですが,またいつどこで原発がドッカンと核爆発やメルトダウンをするか分かったものじゃありません。現在は貯蓄がないので無理ですがそのときに間に合えば海外への移住も夫婦で話し合ってます。

    政治家や東電や各メディアが原発は「お金にならなくなってきた」と少しずつ手を引き始めて脱原発が完了するまで,予想ですが最短でも10年はかかるでしょう。そのXデーがそれまでに来ないことを祈って止みません。(もちろんその後も取り出してしまった60kgのプルトニウムやその他の核廃棄物の処理は数千年続くわけですが…)

    お互いこれからどうなるかわかりませんが最期まで志を貫き,祖国日本の侍のように生きられたらと思います。またのご報告を楽しみにしております。

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