2016年5月21日

そらいろ農園ワインコラム 1杯目「ワイン始めました」

そらいろ農園の阿部です。いろいろなことがあり、いろいろ考えて。
ワイン作りのために動き始めました。

そんなわけで現在、とても忙しい日々を過ごしてます。このコラムは今現在、毎日起きてる知識や出来事を忘れないように、また数年後に読んでどうなったかを振り返って楽しむために、38歳にてワイン作りを始めた男の生きざまをリアルタイムのコラムにして書き残したいと思います。

ワインブドウの木。こんな小さくても5年は経ってるそうです。

そらいろ農園ワインコラム1杯目「ワイン始めました」

どうして私がワイン作りを始めたのか。私が分かる範囲で現状なども踏まえてそれをさらにざっくりと簡単に説明してみます。間違っていたらご指摘ください。

まず、長和町のお隣のぶどうの生産で有名な東御市(とうみし)が「ワイン特区」の指定受けました。ワイン特区とは2000L(リットル)という少ないぶどうの収穫量でもワイナリーを作れる酒造免許が取れるというもので、これからワイン作りを始めたい、ワイナリーを作りたいという人達の背中を力強く押してくれるものなのです。

ワインぶどうは山の傾斜地でも育ち、やせた土地でも実をつけ、収穫まで3年かかり最初は大変ですが一度育ててしまえば30年も継続して収穫が可能、そして出来たワインはもちろん長期保存が可能で価値が高い、、高齢化による農地の遊休荒廃地対策にはうってつけのものでした。これにより東御市にはワイナリーがあちこちに作られ、ワインを作りたい人、飲みたい人が集まり、遊休荒廃地も減りました。

 この東御市の成功を受けて、ワイン作りを農業として長野県全体で盛り上げていこうという流れが生まれました。東御市の周辺の市町村が手を挙げ、千曲川ワインバレー構想という大きな流れになり、その中に私が現在住んでいる長和町(ながわまち)も入っていたのです。

長和町を農的な方面から盛り上げたいと常日頃から思っていた私は荒廃農地をワインぶどうの景観で埋め、車で長和町に入ってくるみんなの目に飛び込んでくるようにしたいという先輩農家さんの想いや町の特産品としても育てていきたいという長和町の「黒曜ワインプロジェクト」の皆様の声を聞き、覚悟を決めたのでした。私がこの町のワインの先駆者になっておいしいのを作ってやろうじゃないかと。町おこししてやろうじゃないかと。

そして書類選考と面接を通り、私阿部タケシは無事、ワインぶどう研修生となったのでありました。そんなわけで今、研修生として今まで以上に忙しい日々を過ごしているわけですが、その辺の話は次回のコラムの2杯目にて。

以下に書類選考の時に提出した志望動機を残します(笑)。
数年後に見たら笑うんだろうなぁ。ではおいしいワインに乾杯!


志望動機

関東でコンピュータ関連のデスクワークをしていたのですが、趣味で始めた野菜作りがとても健康的で楽しく、もっと広い畑でやりたいと思うようになりました。また過疎化や農業の担い手不足等の実態を知るにつれ自然豊かな土地に移住したい、農業で生計を立ててみたいと考えるようになりました。それも定年後の楽しみではなく、出来るだけ若いうちに。そんな考えを実践するべく脱サラし家族で長和町に移住してきました。

移住後は野菜や米などを作付けしましたがそれらは農地や農機具がないなどの問題で補助が受けられず、自給自足に毛が生えた程度の規模にしか出来ず、収入の柱がありませんでした。そんな生活も楽しかったのですが息子も大きくなってくる中で今後何を収入の柱にしていこうか考えているときに、こちらの千曲ワインバレー構想のお話を知りました。

長和町の黒曜ワインプロジェクトの皆様の「長和町を通る方達に美しいぶどう畑を見せたい」「地域おこしになる人気商品を作りたい」という本気の声をお聞きしたときに覚悟が決まりました。私も微力ながら町のイメージアップや町民のみなさんが誇りに思えるような何かを、農業の方面から作り上げたいです。

そもそも私が移住先をどうして盛り上がっている安曇野や松本、上田にせずに長和町にしたのか。それはどこかに「私を必要としてくれる場所で頑張りたい」という初志があったからでした。

私はワインを飲むことが好きですが、ワイン通ではありません。でもどこよりも良い作物を作りたいという農家としての強い熱意と意地だけは負けないつもりです。この数年間の農業バイトでつちかった体力も根性もあります。

教えていただいた技術でおいしいワインぶどうを育て、ここでしか飲めない、私にしか作れないおいしい地ワインを作ってみたいです。そしてそれを町民の方と一緒に私も楽しんでいきたい。長くなりましたがこれが私の志望動機です。

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