2020年1月5日

2020年01月02日~05日「お正月の楽しい帰省から一転、次男入院へ」

にんともかんとも。この4日間の簡単な備忘録。過ぎてしまえば平常心だけど、時間を戻してあの時に戻ったら、息が少ししか吐けなくなって、いろいろ考えて歯を食いしばって、誰も恨めない運命を恨むだろう。最悪のことを考えてしまった後で、考えても仕方ないと脳内で現実逃避をするだろう。詳しく書くのも嫌なので備忘録的にさらさらっと。

お正月の楽しい帰省から一転、次男入院へ
この日の帰省のためにブドウのわら巻きを長男も手伝ってくれて、結果終わらなかったんだけど、私もたまには親に顔を見せたくて同行することにした。夜中の2時半に起きて鶏たちの餌やりをして、3時に家族を起こしさあ千葉へ行くぞ~と叩き起こした。でもそこで、どう見ても次男の顔がおかしい。熱がある、それも38°を超えている顔。流石に見過ごせないレベル。

測ってからでは「あるの熱がすごいから千葉には行けません」と家族に言えないのが私なので、測る前に「もし38°を超えていたらそれは絶対に連れて行けないからね」と念を押してから嫁さんに測ってもらうと、なんと39°

これは無理。絶対に無理。この高熱、インフルエンザだ。この状態の2才児を連れまわすのはかわいそうだし、連れて行って実家の人間にうつすのも嫌だし常識が無さすぎる。これは行けない、今回は中止だと伝えると、予想通り隣の部屋で泣き出す長男を、楽しみにしてたのに可哀想だとも思ったけど、しばらくするとどうして弟が高熱で苦しんでいるのにてめぇのことばっか考えてんのかとむかっぱらがたってきた。

結局、長男は一人で電車に乗って千葉へ帰省することに。奥さんは次男を病院に連れていき、ついでに長男を上田駅の新幹線乗り場まで送るという計画。私はひとりブドウ畑のわら巻きへ。1本でも多く巻いておけば未来につながる確率が上がる。やらなければバカにされるのは私だ。千葉に行けなかったのは残念だけど、その分こっちが伸びればそれはそれで素晴らしいことだろうと前向き思考。

そんな中、電話が来た。次男がけいれんして止まらなくて、 救急車で別の病院に搬送されると。耳を疑った。救急車!?けいれんしてベロをかみ切りそう!?え!?とにかく病院に長男を受け取って上田駅に送ってほしいとのことで、ブドウ畑を後にする。やれやれ。

次男の症状としては30分以上のけいれん。奥さんいわく、何度目かのけいれんが来ると分かってからは「いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!」と必死で叫んで拒むのだけど体が硬直し、いやだの声が声じゃなくなって歯のガチガチ音に代わって震える状態だと。自分のベロを自分の歯で切ってしまうほどの震え。そんなのが何度も来たんだ。怖かっただろうな。

信州上田医療センターの病院の先生曰く、幼児の長時間のけいれんと高熱からは言語障害や麻痺などいろんな障害がありうるとのこと。確かに私の顔を見て何か言いたげだけど言葉が出てこない。普段からコミュニケーションをとってるのでかなりおかしいのはすぐに分かる。脳のシナプスが途切れてしまったのか。


緊急治療室から治療室に移動してそこからあと20分、3時を過ぎても言葉が喋れないようなら承諾書を書かされるような強い麻酔を打って、MRI を撮影するという説明を受ける。

これは何とかしなければ!と私は場を和ませるように息子と目を合わせて笑わせたり、いつもみたいに優しく見守ったりしながら、心の中では大急ぎで何を話せば彼が興味を持ってくれるだろうかと考えていた。

ふと、たまたま持ってきていた荷物に彼が大好きなみかんが入っていたことに気がついた。これを食べさせれば脳みそも動き出すだろう。でもその前に「ある、みかん食べる?」と聞いてみた。すると案の定その言葉に反応して「食べる」といったような気がした。看護婦の方が先生に聞いてみないとねという言葉にかき消されたが、彼のみかんを食べたいという想いは目からわかる。

その直後「ママ、みかん、剥いて」とママの目を見て言ったのだ。思わず病院なのに大きめの声でしゃべった~と言ってしまった。看護婦さんにも先生に言われたことを説明しながら、言葉が喋れたのでこれで一安心ですねと、そっちの方向に持っていった。
みかんを食べる次男2歳4か月。みかんありがとう!
病名はアルインフルエンザA型。しかしけいれんが出てしまったために検査入院となってしまった。これが2日で、そこから24時間点滴状態で3日間。家に帰れず、風呂も入れず、高熱にうなされながら、兄も居ない。2才児にとっては地獄だったろう。

奥さんもヒドイ状態で頑張った。常に付き添いが居なくちゃいけないのに付き添いが入る風呂もシャワーもない。お正月ということで売店も空いてない。買い物にも行けない。部屋にはティッシュすらない。更に冷蔵庫は有料でテレビカードが必要になる。ベットは海の家でレンタルしてるビニール椅子のような折り畳みのやつ。

私はこの4日間、毎日往復2時間かけて通い、奥さんの食べるものをスーパーで買って運んだ。そのたびに入り口のバイトの方に面談は13時からだと注意されたけど、こんな状態で朝飯どうするですかいとそのたびに説明した。

そして今日5日、ようやっと退院となった。長男も千葉から特急と新幹線に乗って帰ってきて、一緒に次男を迎えに病院へ。
一人で初めて新幹線に乗って帰ってきた長男10歳。
数日ぶりに家族4人が一緒になって、エレベーターの中でそれを話した。ともあれ長男以外は風呂に3日間入ってない。「家に帰ったら風呂焚くぞ~!」
3日ぶりに会う兄弟。10年後も20年後も仲良く居てね。
次男はもうすっかり元気。だけど少しだけ、言葉が退化した印象がある。あと、ちょっと足がもつれるかな。 後遺症ではなくベットで寝っぱなしだったからだと思いたい。でももしそうでもそれはそれで受け止める覚悟はある。この3日間、ずっと考えてたからね。

夜は卓球したりした。実家の母と姉にすっかり世話になった。偶然とはいえ長男が帰省してくれてて助かった。私はこの3日間、風呂も入らず、ストーブもつけず、自分のものは1つも買わず、冷蔵庫の中の悪くなりそうなものを食べてた。こんな状態で長男が居たらもっともっと大変だったろう。それにひとりだったからこそ、来年からの作付けを考えたり、深夜まで本を読んだりが思いっきり出来た。

またこの家族4人の長野県生活が始まった。かっこつけるなら第二部ってとこかな。生きてくれた次男に感謝。 この騒動すらも勝手にパワーに替えて、父はこっから加速していきたい。


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