忙しい日々。やることが満載で手を抜いてる暇がないのだけど、自殺したくなるほど追い込まれないのが私の良いところ?だと思ってる。その話をちょいと書いてみよう。
自殺したと思われたあの日
20代のプログラマー時代、残業300時間で表彰された会社で、私はおそらくうつ病になった。病院に行ってないから医者に診断されたわけじゃないけど。あの日の朝、私はいつも通りスーツを着てアパートを出て、出社するべく本八幡駅のホームで電車を待った。でも到着した電車をなぜかスルーした。何本か電車を見送って、アパートに戻った。
会社から電話が来るのは分かっていたので、携帯電の電源を切り、受話器の電話線を抜いた。やましい気持ちがあったのか、部屋の明かりは多分、つけてなかったと思う。数時間後、チャイムが鳴り、ノゾキアナから見てみると、会社の社長と副社長、そして何故か田舎に住んでいた母親と姉が居た。
一瞬で状況を察知した。社長にやられたと思った。でも今思えば、本当に自殺する可能性があると思われていたのかもしれない。(でもやはり普通に考えればここまでやるのは連絡が取れなくなった翌日とかだよね?)。とまぁこんなことがあったんだけどここから知ったのは、自分が防衛本能で逃げることが出来るタイプの人間だということ。逃げられずに本当に死んじゃう人もいるものね。
なので大丈夫。死ぬまで生きるだけ。で、生きてる間はなりたい自分に向かって進みたい。
ちなみにうつ病だった時の記憶して覚えてるのは以下の通り。
・寝てる間に歯が折れそうになるほど歯ぎしりしてしまう
・眠れなくて本八幡の友人からもらったハルシオンを飲んでいた
・血尿が出た記憶がある(多分、記憶があいまいで…)
・徹夜が続いて48時間連続で働いた日があった(寝てしまって仕事にならず)
ヒンメリワークショップで盛り上がる
attala(あったら)ワークショップの日。麦の茎の部分を使ったヒンメリというアクセサリを作るというもの。オリジナルなのは材料の麦を種まきから自作したこと、麦で作った麦茶を出したこと。うちの奥さんの人柄やメンバーのつながりもあってお客さんは上々。私は場所づくりDIYを進めながら小さな奇跡が起き始めてるのを感じてた。場所づくりでいうとご近所の家族が手伝いに来てくれて、そこの奥さんがのこぎりで材を切ってくれた。どんどん忙しくなって、暗いニュースが多くて、コロナで気分が滅入って、天候も過酷になってて、人の悪いところばかり目について、そんな日々なのに時間を割いて手伝ってくれる。感謝しかないです。
お客さんとして来てくれた人気のパン屋さんから頂いたパン!うまし! |
これまた頂いたブドウ!きれいに作るなぁ。 |
他にもブドウなどをいただいた。ありがたや。野菜果物で言うと長野県は最高。
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